設計事務所やゼネコンじゃなくても合格できた一級建築士のブログ

奇跡的に取得できた一級建築士の資格について、合格までの軌跡を記録し、自分と同じ境遇の方に参考にしてもらえたらと思いはじめました。

一級建築士の免許を得て思う感謝、今後

2月21日、一級建築士の免許ができたよという通知が到着。

2月26日、建築士会に取りに行って、無事正式に一級建築士を名乗れるようになりました!

免許を持つと、実感が湧いてきます。

実感が湧いたついでに、この記事では免許を前にして浮かんだことを綴ろうと思います。

本当に取れるとは考えていなかった

私、他の記事でも書きましたが、当初は半分本気半分惰性で勉強していました。

それが徐々に習慣に変わり、知識に変わり、使える技術に変わっていきました。

それでも、本当に取れるとは考えていなかったんです。


ブログのタイトルにもしている様に、私は設計事務所にもゼネコンにも所属していません。

不動産管理会社の建設部門=建設業を主業務としない環境で仕事をしています。

一級建築士事務所の看板を掲げ、設計監理も請負も両方やる会社ですが、あくまで管理業から派生する修繕や改修がメイン。

しかも内容は設備工事や電気工事がほとんどで、新築なんて全く知りません。

おまけに入社直後から会社の風土に違和感ができてしまったため、長く勤めることも無いと思っていました。

そう言いながら気付けば今年4月で満10年が経ってしまうのですが。

まぁ、こんな環境だからいつまでも建設業に携わることは無いだろうし、その後使う確率が低い資格を取っても役立たせることができないしなぁ、なんて受かってもいないのに考えていました。

それでも勉強を続けてきたのは、応援してくれる人、自分がやってきたことの証明、こどもが生まれたからでした。

応援は力にも重圧にもなる

私のことを1番近くで応援してくれたのはもちろん家族です。

妻は時に励まし、時に労いのことばをかけ続けてくれました。

こどもたち、特に上の子はパパママと遊びたい盛りに片方が欠けていて、特に運動会が製図試験の日程と重なった2年間について、我慢を強いてしまったと思います。

2018年12月に合格がわかり、来年からは運動会行けるよ、と伝えたときの喜ぶ姿がそれを物語っていました。


そして私が後に引けず建築士を受け続けた最大の理由に当たるのですが、お世話になった会社の上司からの応援もありました。

新人として今の会社に入社し、最初に様々な指導をしていただいたMさん。

結婚式のスピーチもしていただきました。

この人は私のふた回り年上で、私より長い期間、中断期間をはさみつつ、私より多い回数試験を受け、今の私よりひと回り以上も上の年齢で一級建築士になりました。

私も合格の時部下だったのですが、人員不足の中プレイングマネージャーをやらされ、どこに勉強する時間と体力を隠し持っていたのか未だ不明ですが、その時の姿は今も記憶にあります。


私の異動後も、Mさんとは私の結婚式出席メンバーで行う飲み会で年に1、2回会う機会があり、会うたび「今回はどうだった?」「俺より若いんだからがんばれ」と気にかけてもらっていました。

でもこの応援、当時はキツかった。

頑張れど頑張れど合格に至らない日々。

先が見えなくて手を止めたくなる。

でもその時浮かぶのは、もし受験を止めたらMさんはたぶん残念がるだろうな、がっかりするかもな、そうさせたくないな、ということ。

これが浮かぶと止めるという選択肢を選べませんでした。

負けず嫌いがうずくというのも若干ありましたが。


今だから実感していたことを整理できます。

応援は力を与えることも、逃げ道を塞ぎプレッシャーを与えることもあるんです。

そしてその時受けていてネガティブに捉えていた行動や感情は、結果が出ると変わることがあるんです。

Mさんからの応援は当時最大の試験を止められない理由だったはずなのに、止めなかったから合格できた、に変わるんです。

だから、応援はあった方が継続できる、とか応援がないとプレッシャー無しで楽だ、とかそういうことを言いたい訳ではありません。


応援されている皆さん、心に染みる応援はそのまま受け取り、プレッシャーになることばは心をマイメロにして放っておきましょう。

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だって1番努力をするのは受験生、時間を1番犠牲にするのも受験生ですから。


周囲に受験生がいて応援している皆さん、1番の応援は受験生の環境を整えてあげることだと私は思いました。

気が散りそうならテレビの音を小さくする、ストレス発散したそうならお出掛けさせてあげる、もしくは付き合う、何もしなくていい時間を作ってあげる、家事・育児をする、気を遣ってる・やってあげてる感を出さない、仕事を引き受けてくれる、などなど。

受験生は頭を使い、心の中の葛藤とも頑張って戦っています。

そう、既に頑張っているんです。

応援する方にもよるかと思いますが、ことばより行動が有り難いと思います。


自分がやってきたことの証明

私は入社当初に、大手設計事務所の方々と忘年会をする機会がありました。

そこで聞いたのは「建築士の資格は、足の裏の米粒だ」というもの。

取らなくても食っていくことはできるが、取らないといつまで経っても気持ち悪い…ということだそうです。

このことばは有名らしいので、言い回しは違えど聞いたことがある方もいると思います。

私も会社の主業務ではないながら建設業に携わった身として、ことばの意味がわかる部分も出てきました。

でも私は気持ち悪さよりも、自分がやってきたことの証明書として、一級建築士という肩書がほしかったんです。


もし転職するときに経歴を聞かれ、建設業務に従事しました、と実績を伝えても今の会社は管理業がメイン。

相手に自分のやってきたことを理解してもらう、認めてもらうことができるか定かではありません。


でも一級建築士だったら?

主業務ではなくても、一級建築士になる程度には努力、経験を積んだ人間なのかも、と見えると思うんです。

昨今、東大生という肩書が重宝されるように、そこまでのブランドがなくとも自分の実績の裏付けにはなると思ったんです。


資格を持っていなくても素晴らしい技術を持った方はたくさんいます。

でもその技術は見せる場が無ければ認めてもらえないかもしれないんです。

肩書はその技術を見せる場を作りやすくするものだと思っています。

ここを、自分のやってきたことに自信を持って進みはじめる、出発地点にします。


こどもが生まれた

独身時代、先述のMさんから「こどもが生まれるまでに取ったほうがいいぞ」とよく言われました。

アドバイスを受けたものの、こどもがいるかいないかで何が違うか、私も生まれるその瞬間まで全く理解していませんでした。

自分の時間が無いんです。

ビックリするぐらい。


これは決して悲しいことではありません。

自分の時間が無くなる分、新しい幸せな時間が増えるんです。


でもときどき、気持ちに余裕が無いときに、こどもがいないうちに取れてれば、まだこどもがいなければ、と思ってしまいました。

後悔です。こう思ってしまったことも後悔です。

こんな後悔をしておいて、もしここで建築士を諦めたら、ことばに出さなくてもこどものせいで諦めたことになると思ったんです。


将来こどもと昔話をすることになったとき、自分の話を封印したくありません。

でも諦めた話をしたらもしかしたらこどもが自分のせいかも、と考えてしまうかもしれません。

そうさせないためにも、将来自分がこどもに好き勝手語ってウザいと言われるためにも、がんばりました。


これから先のこと

一級建築士に合格してから、視野が大きく広がりました。


今の会社に残り、肩書を裏付けにもっと発信力を持って成長を目指すのもひとつ。

自分の名前で建物を建てるために、設計事務所で勉強するのもひとつ。

企業内建築士として活躍できる新たな場を求めるのもひとつ。

老いが始まった父親の仕事(消防設備士、個人事業主)を手伝い引継ぐのもひとつ。


これだけの可能性が見えてきたんです。


どの選択肢を選ぶのか、それとももっと別の道が開けるのか、これから行動してみたいと思います。

もちろん今まで通りかそれ以上の努力を伴って。

ただひとつ言いたいのは、やらない後悔よりやって後悔したいです。

どうか先の自分が結局何も変わってないじゃん、と思わないよう、今後も精一杯の努力を重ねたいと思います。